12.14 四十七士討ち入りの日,忠臣蔵の日
2010.12.14(火)
12月14日は「四十七士討ち入りの日,忠臣蔵の日」です。年末になるとテレビでよく忠臣蔵がやってますね。一度も見ていない方は是非一度は忠臣蔵を見て下さい。以下の説明にもありますが、仇討の際に赤穂浪士47人の中、ひとりも死者を出すことがなかったとはすごいですね。
四十七士討ち入りの日,忠臣蔵の日: 1702(元禄15)年のこの日、赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げました。 1701(元禄14)年3月、江戸城松之廊下で播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩[あさのたくみのかみながのり]が、幕府の礼式を司る高家[こうけ]筆頭の吉良上野介義央[きらこうづけのすけよしなか]に小刀で切りかかるという事件が起った。浅野には即日切腹、領地没収という厳しい処置がとられたが、吉良には一切のお咎めがなく、これが事件の発端となった。 家臣たちは主君の仇を討つ為に綿密に計画を練り、翌年12月14日寅の上刻(現在の暦法では15日午前3時ごろとなるが、当時は日の出の時間に日附が変わっていたので14日となる)、大石内蔵助[おおいしくらのすけ]の率いる47人が、本所の堀部安兵衛宅に集まり、そこから吉良邸へ討ち入った。2時間の戦いの末、浪士側は一人の死者を出さずに吉良の首を取ることができた。 世論は武士の本懐を遂げた赤穂浪士たちに味方し、幕府は翌年2月4日、一同切腹という処置をとった。 この事件を題材として、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』等100種にも登る作品が作られ、現在まで語り継がれています。
キーワード:忠臣蔵,四十七士,赤穂浪士
|